『魔王の始め方』
小説:笑うヤカン

『三周年を祝いましょう』

「お祝いを、したいの」

 会議室に集まった面々を見回して、リルはそう切り出した。
彼女によって集められたユニス、スピナ、マリー、メリザンドの四人は、互いに顔を見合わせる。

「お祝いって何のお祝い?」
「もうすぐね、このダンジョンが出来て三周年なのよ」
「出来たと言っても……」

 ユニスの問いにリルが答え、スピナが眉根を寄せた。
メリザンド率いるラファニスとの戦いによってダンジョンはほぼ崩壊。ダンジョンコアも失って、その役割をスピナの分身が代わりをしており魔力も潤沢に使うことの出来ない仮住まい。それが、今のオウルのダンジョンの状況だ。

「こんな状況だからこそ、何か楽しいことが必要だと思うのよ」
「たのしそー! やろうよ!」

 真っ先に手をあげたのは、今年で八歳になったマリーであった。

「やるのは構わんが、具体的にはどうするつもりだ?」

 髪の色だけを異にするマリーそっくりの姿で、メリザンドが問う。

「うん。メリーの国のお祭りで、ちょうど同じ時期にお菓子を食べる奴あったじゃない? バンアレンタイだか、バテレンダインだかいう……」
「ああ……バレンタインの事か。確かに近いと言えば近いな」

 顎に手をやりながら、メリザンドは頷いた。

「なあに、それ?」
「うむ。元々はバレンティヌスという英霊が発祥の祭りだ。あれは大体、三千年くらい前のことだったか。恋愛禁止などというたわけた法律を作った皇帝がいてな。それに抗った英雄だったのだが、力及ばず処刑された」

 小首を傾げるマリーに、メリザンドは滔々と語る。

「その死を悼むために始まったのが、バレンタインデーだ。菓子なら何でも良いのだが、慣習的にチョコレートという練り菓子を贈るようになっている……まあ、単に経済的に効果が得られるから続けていただけのものだが」
「それそれ。女の子が、好きな男に贈るんでしょ? じゃあ、それも用意してオウルに贈ってみるのはどう?」

 うんうんと頷いてリルが言うと、メリザンドは難しい表情を浮かべた。

「ううむ。だがあれを作るには、特殊な豆が必要でな。元々そう数を作っていたものでもないから、お前たちとの戦争ですっかり失われてしまったぞ」

 歩くダンジョン、その通行ルートに、ちょうど畑があったのだ。地盤から根こそぎ破壊されて、今復旧に力を注いでいるところだと聞いていた。
無論市場を回れば在庫はあるかもしれないが、仮設のダンジョンで暮らす今の生活にはそこまでの余力も権力も残ってはいない。

「大丈夫よ。オウルがよく言ってるでしょ」

 しかしリルは慌てることなく答えた。

「ダンジョンには全てがある、ってね」

 

「ほら、あれよ」
「……いやいや」

 ダンジョンの第二階層、地下八階。天井にぽっかりと空いた大穴から光差し込む魔獣の住処での出来事である。

「あれは断じてカカオではない」

 リルが指し示す植物を見つめながら、メリザンドはふるふると首を横に振った。

「私の知るカカオは牙など生えてないし、自在に動いたりしないし、こちらに向かって威嚇してきたりもしない」
「細かい事言わないの。近隣種なら味だって似たようなものでしょ」
「近隣か!? あれ、本当に近隣か!?」

 そもそも植物であることすら怪しい、とメリザンドは思う。メリザンドの知る植物は、蔓でネズミを捕らえてバリボリと頭から齧ったりしない。

「ダンジョンにはよくあることです」
「本当か!? ダンジョンってそうなのか!?」

 きっぱりと言い張るスピナに、メリザンドは困惑した。まだダンジョンで暮らし始めて日の浅い彼女の初々しい反応に、一同生暖かい笑みを浮かべる。

「ま、とりあえず収穫してみれば良いんじゃない?」
「ねえねえ、ユニス、わたしやってみていい?」

 すらりと剣を抜くユニスに、マリーがワクワクした様子で声をあげた。

「お、いいよいいよー。そろそろマリーも実戦経験積んでいい頃合いだしね」

 最近、マリーはユニスから剣を習い始めていた。彼女から剣を手渡され、構える姿は中々堂に入っている。

「マリー、気をつけるんだぞ、いいか、怪我をしないように、危なくなったらすぐに助けを」
「大丈夫だよお。メリーは心配性だね」

 真剣な表情で忠告するメリザンドにへらりと笑い、マリーは剣を構えて走った。
カカオの木は無数の蔦を広げてそれを迎え撃つ。

「目もないのにどうやってこっちの動きを感知しているんだ……」

 メリザンドが呟くが、誰も取り合うことはなかった。
振るわれる蔦をかわし、切り捨てながら、マリーはカカオの木へと肉薄する。そしてその枝にぶら下がる実を切り落とした、その瞬間。

「あ、油断したね」

 ユニスの呟きを裏付けるかのように、一瞬動きの止まったマリーの手足を蔦が拘束した。

「やあぁぁん、恥ずかしい!」

 そのまま宙吊りにされた彼女のスカートがめくれ上がり、健康的な太ももから下着までがあらわになる。

「マリー!」
「あ、ちょっと」

 リルが止める間もなく血相を変えたメリザンドがマリーに駆け寄って、為す術もなく全く同じ目にあった。数千年を生きた大聖女であるとは言え、肉体的にはただの子供でしかないのだ。

「やっ、ちょ、だ、だめっ、きゃぁっ」
「ま、待てっ、やめろっ! うわぁっ!」

 ごそごそと服の中に潜り込んでいく蔦に、マリーとメリザンドは揃って悲鳴をあげる。

「何をやっているんですか……」

 呆れきったように言いながら、スピナはスタスタとマリーたちに近づく。カカオの蔦は彼女も捕らえようと伸びたが、それはスピナの身体にぐにゃりとめり込み歪ませるだけで、スピナは一切気にすることなくそのまま歩みを進める。そしてマリーたちを拘束する蔦をぶちぶちと引きちぎった。

「さあ、さっさと次に向かいますよ」
「う、うん……」

 全身を蔦に貫かれながら平然と促すスピナ。
そんな彼女に、ちょっと気持ち悪いと本音を漏らさない程度の分別は、マリーにも付き始めていた。

 

「オウル、ダンジョン三周年、おめでとう!」
「……なんだ、その有様は」

 笑顔でチョコレートを掲げるリルたちの姿に、魔王は思わず呻き声をあげた。
せっかくだから、カカオ以外もダンジョンにある材料で作ろう。リルがそんな事をいい出したのが発端だった。チョコレートの材料はカカオ、砂糖、ミルク、バターである。

 砂糖を手に入れる為に戦ったダンジョンサトウキビは魔術で風を自在に操る強敵だった。対するユニスはその高い抗魔力によって傷一つつくことはなかったが、着ている衣服まではそうはいかなかった。散々に切り刻まれて、ところどころ際どいところが見え隠れしてしまっている。

 ミルクはせっかくだからという事で、ミオの管理する牧場から牛ではなく魔獣ゴルゴンのものを貰ってきた。全身鋼で出来た牛の魔獣は、どうやら雌牛だったらしい。普通の牛の数倍はあろうかという巨体を誇るだけあって乳の量と勢いは凄まじく、それを搾ろうとしたマリーは、全身白濁まみれになってしまった。

 そのミルクを用いてバターを作ったメリザンドは、味を見ようとして舐めた途端、頭部が石化した。ミルクだけならともかく、濃い部分を分離し凝固させたその成分にはゴルゴンの吐息が持つ石化の魔力が伝わっていたらしい。マリーに危害が加わらない限りメリザンドは不死なので、問題はないが。

 スピナの身体には、未だにダンジョンカカオの蔓がところどころ突き刺さったままだ。どうやらスピナの身体と妙に相性が良く、同化してしまったらしい。そのうち消化吸収されるでしょう、とスピナは触手をピコピコと動かしながら言った。

 そんな有様の彼女たちは一周回ってテンションが上りきり、勢いでチョコを作ると身支度すらせずオウルに持ってきたというわけだった。

「なるほど……」

 さっぱりわからん。それが、説明を一通り聞いたオウルの感想だった。
だが、二つだけわかることがある。

 一つは、それほど苦労してダンジョンを祝ってくれた、彼女たちの想い。
そしてもう一つは……、

「くれてやる」
「ひゃっほーマリーちゃん手作りのチョコレートォー!」

 オウルが後ろに放り投げたそのチョコをローガンが器用に口でパクリと受け止め、そしてそのまま全身石化する。

 もう一つは、そんな材料で作った菓子が身体に良い訳がない、ということだ。
その様子を見届けてオウルは頷き、リルもそれに応えてこくりと頷く。

「だろうと思って普通にケーキ用意した」
「うむ、そちらは貰おうか。食べる前に身支度を整えてこい」

 如才なくホールケーキを取り出すリルに、オウルはもう一度頷いた。

「ねえねえオウルさまも一緒にお風呂入ろうよー」
「お師匠様、申し訳ありませんがこの蔦を一本一本引き抜いて貰えませんか?」
「この服結構セクシーでいいかなーって思ったんだけど、やっぱり駄目かなあ」

 和気藹々とはしゃぐ娘達と連れ立って、オウルは呆れ笑いを浮かべながらも部屋を出ていく。
そしてそこには、石化したままのローガンだけが残された。

 天に拳を突き上げ口を大きく開けるその様は――しかし、とても幸せそうであったという。

『姫騎士がクラスメート!』
小説:EKZ

「ひゃっ……ふぁんっ!? ちょっ、やめっ……トオルっち、ダメだよぉっ!?」
「こらこら動かないように、橘さん。せっかくのチョコが食べにくいじゃないか」
 ここは魔界の一角、共闘関係となった妖狐天仙ミクラによって用意された俺の個室。
 豪奢なキングサイズのベッドの上で、ギャル勇者こと橘リルナに膝枕される体勢になった俺は、制服風コスチュームの前をはだけさせ、たわわな巨乳にむしゃぶりついていた。
「で、でも! こんな食べ方とか絶対おかしーって……ひぁぁ!?」
 そう、正確には、その乳房にたっぷりと塗られたチョコにだ。
 濃いブラウンのコーティングが、すべすべで真っ白な肌に映える。
 チョコごしの舌による愛撫を受け、すでに彼女の乳首は硬く張り詰めてすっかり敏感になっていた。
「ねぇトオルくん、いるの……って、ななな何やってんのよっ!?」
 ドアを乱暴に開けるなり、素っ頓狂な叫び声をあげたのは姫騎士装束のキリカだ。俺たちを指差し、顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。
「姫っち!? え、えっと、その、これは……っ」
「おっと、ちょうどいいところに来たなキリカ」
「ど、どこがいいのよ!? どう見ても悪いの間違いでしょっ!?」
 大迫力おっぱいがロケット状に変形するほどに先端を思いっきり吸ってから『ちゅぽん』と音を立てて唇を離すと、リルナは可愛らしくも恥ずかしそうに「んぁんっ!?」と声をあげてサイドテールを震わせた。
「いやいや、これは橘さんの方から言い出したことなんだ」
「……え? ほ、本当に……?」
 キリカにまじまじと見られ、慌てて顔の前でぶんぶんと両手を振るギャル勇者。
「ち、違くてっ! アタシはただ、その……と、トオルっちにチョコをあげたかっただけで……っ!」
「えっ……? チョコ?」
 そう、俺たちの元いた世界にあったバレンタインの風習というやつだ。もちろんこっちの世界では暦すら違うのだから、本来無意味なはずのそれだが、リルナはどこからか「以前キリカたちが俺にチョコを渡した」ことを聞きつけたらしい(アメリアかシスティナ姫あたりが怪しいと俺は睨んでいる)。
「それで……日付関係ないんだし今日でもいっかとか思って、その、アタシも……」
 うつむいて顔をますます赤くし、ぼそぼそと説明するリルナ。
 なお、材料や調理場はミクラに頼んで用意してもらったらしい。意外となんでもあるな、魔界。
「いやぁ、橘さんの料理の腕はどんどん上達してるけど、お菓子作りも大したもんだな」
「あ、ありがとトオルっち……ッふぁあ!? い、いきなり舐め取らないでよぉ!?」
 不意打ち気味にチョコまみれ巨乳を舐めた時の反応が面白くて、ついやってしまう。
 そんな俺たちを見て、キリカの長い黒髪が怒りでふるふると震え出す。
「天…って、何が『いやぁ』よッ、この変態ぃ!? 橘さんもいつもいつも、トオルくんの口車に乗せられてちゃダメだってば!」
「せっかくのバレンタインに無粋なヤツだなあ。というか、そもそもキリカはここに何の用で来たんだ? 俺に用があったんじゃないのか?」
 当然の疑問を(リルナの乳首を優しくいじめつつ)口にすると、キリカは突如、
「そ、それはその……っ! な、なんでもないわよ!」
 さっきまでの剣幕から一転、妙にしどろもどろになって、目を泳がせ始めた。明らかに何か妙な意地を張って、隠し事をしている時の態度である。
 こうなったら仕方がない……実力行使だ。
「魔隷術師として命じる! 姫騎士キリカ、こっちに来て後ろ手に隠しているものを見せるんだ!」
「うそっ、隷属術式!? ちょ、ちょっと待っ……!」
 魔隷である彼女は、こうなってしまえば俺の命令には逆らえない。俺が気付いてないとでも思っていたのか、さっきから体の後ろに隠している『何か』を、勢いよく俺の眼前に突き出すハメになる。
「! これは……」
「……チョコ?」
 俺の言葉をリルナが継ぐ。予想外の展開に二人とも目を丸くするしかない。
「た……橘さんがチョコ作ってたって、システィナ姫様から聞いて……そ……それで、私もなんとなく……ほ、本当になんとなくでそれ以上の意味とかはなくてっ!」
 星状に型取りされたチョコを突き出したポーズのまま、穴があったら飛び込みたい、いやなくても聖騎剣技で床を掘って飛び込みかねないほどに耳まで真っ赤にして、消え入りそうな声で細々と言葉を紡ぐキリカ。
「キリカ……」
 明らかに、以前よりも気合いが入った出来の手作りチョコ。
 そのいじらしい姿に、思わず俺は胸の奥がちくりと痛む。
「ありがとう。これはありがたく受け取らせてもらうよ」
「! トオルくん……」
「いや、本当にちょうどよかった。これで晴れてキリカにも『参加』してもらえる」
「……え?」
 直後に訪れる運命にまだ気付かず困惑するキリカめがけ、俺は次なる命令を出す。
「というわけで重ねて命じる! リルナと同じようにチョコを溶かして自分の生乳に塗り、俺に好き放題舐めしゃぶらせろ!」
「え……えぇぇぇぇええええええっっっ!?」
 すぐそこにリルナのチョコ塗れおっぱいがあるというのに、こうなることに思い至らないとは、優等生のくせに鈍いというか面白いヤツだ。
「いやー、姫っち、今のはアタシもさすがにこうなるってワカるっていうか……ま、諦めて仲良くされちゃおっか?」
 苦笑して、共犯者めいた微笑みを向けるリルナ。
「と……トオルくんの、馬鹿ぁぁぁぁぁああああ!!」
 かくして今日もまた、キリカの叫びが盛大にこだまするのだった……。

『人食いダンジョンへようこそ!』
小説:一年新

かつて世話になり、今では顧客となってくれた傭兵団にオレグという男がいた。
面倒見が良く商才にも長けていたことから、かつては何度か相談に乗ってもらったこともあった。

彼は年若い寡婦をめとり、水門都市エブラムと、北の諸都市群を隔てる山脈のふもとで宿屋を始めたと聞いた。
当時はなぜそんな場所にと訝しんだものだが、数年もたたずにその理由がわかった。

街道の治安が良くなってきたこともあり、宿は山越えを考える旅人や行商にとって格好の拠点となった。
元より街道沿いにあったことから近隣に開拓村が生まれ、あの地域は宿場町になろうとしていた。
教会から二束三文で買い取った宿場と酒場の営業権は、間違いなく手堅い金を産む。

数年が過ぎ、鉱山村のダンジョンを捨て、水門都市エブラムに店と新しいダンジョンを構え、ようやく生活が落ち着いた矢先。
商談で北部に行くことになった帰りに、話に聞いていたオレグの宿を訪れることができた。

「正直、もう少し繁盛していると思ったんだけどな」

外から見ても、宿は荒れていた。
客の姿も今はなく、扉も汚され、手前には生ごみがぶちまけられている。
生ごみが捨てられているということは、誰かが捨てたという事だ、廃墟というわけではない……。
玄関前ということは、つまりいやがらせや営業妨害の類だろう。

「中に人の気配があります。こちらを窺っているようですね」

隣に控えたアスタルテ……魔族にして、僕の教育係……が報告する。彼女が落ち着いている以上、さしせまった危険はないのだろう。
どちらにせよ、山を越えてきた僕らはどこかで宿をとるか、野宿をするか選ぶ必要がある。
まだ日が暮れてはいないが、今から次の宿場町に行けるほどの余裕もない。
数年ぶりにオレグの顔を見て、ついでに宿をとるつもりでのんびりと進んでいたのだ。

「失礼、宿を取りたいのだけれど……こちらは営業中ですか? あと、オレグさんはこちらに?」

◆◆◆

「……まさか、亡くなっていたとは……」

「ええ。昨年の冬に受けた怪我から回復したと思った矢先に、病で……」

薄暗い宿の中、疲れ切った様子の女将が薄い茶を入れてくれた。
彼女がオレグの妻だったターニャ。少しやつれていたが、どこか惹きつけられるような色気もあり、まだ十分に美しいといえる。
奥の部屋から、小さい女の子がこちらをのぞき込んでいる。年齢的には連れ子だろうか。

「あの子もようやくあの人に懐いてくれて、この辺りも栄えだして、これから……というときだったのですが」

夫に先立たれるのはこれで二回目なのだから、悲しくても乗り越えることはできているのだろう。
ならば、なぜこんなに宿が荒れているのか。

「妨害をしてきているのは、流れ者ですか? それとも、新しくできた店の関係者?」

「近くに別の宿を作ろうとしている、流れ着いた人たち……五人くらいで、おそらく元は傭兵だと……。この宿を二束三文で売れと言ってきて。お断りしたら…………」

「いやがらせが始まった、という事か……」

黙ってうなずくターニャ、おそらくは何度も文句を言ったのだろうが、言葉だけというのは無力なものだ。
幼い娘を抱え、武力を持っていた夫は病で世を去った。彼女を守るのは自分しかいない。

「失礼な質問だったとしたらお許しください。旦那様との思い出が詰まっているとは思いますが、例えば別の相手にこの宿を売り払って、どこかで暮らす……ということは可能でしょうか?」

アスタルテが言葉を選んで問いかける。
彼女は冷静に計算のできる相手だが世情に詳しいわけではないし、庶民の世知に長けているとも言い難い。
夫を失った子連れの女。前の夫も戦乱で死んだということは、高い確率で彼女には帰るべき故郷がない。
そして、何も後ろ盾を持たない相手に適正な価格で取引を申し出る相手はいないだろう。
予想通り、ターニャは黙って否定する。

「冒険者だろうと傭兵だろうと、この宿に適正な価格を支払えるはずもないさ。そのうえで、ここにはターニャさんと娘さんしかおらず、二人を守る力を持っていたオレグはもういない」

「……最悪のこともあり得る、と」

その通り。一番手っ取り早いなのはターニャと娘を殺害し、この宿を乗っ取ることだ。
エブラムの司教が発行しただろう宿の開業許可はオレグと妻がいなくなったことで立ち消え、改めて発行させるための賄賂も軽微になる。
まだ定住者も少なく、疑われても知らぬ存ぜぬで通すことはたやすい。

「エリオットさん。虫の良いご相談だと思うんですが、この宿を守る手段はないでしょうか……」

すがるようにこちらを見つめるターニャ。
今までどう生きてきたのかはわからないが、体つきや身のこなしから、戦う訓練を受けていないことだけはわかる。
都市ではなく荒野で身を守る術を、彼女は持ち合わせていない。
エブラムに逃げ込んで、酒場女や娼婦として生きていくならば、器量も悪くないし不可能ではないだろうが……。
娘を持ち、次第に若さを失っていく彼女がそれを何年も続けるのは容易ではないだろう。

オレグには恩を受けた。
しかし、ターニャとは初対面で、オレグはもういない。
たかが流れ者、十人程度ならばアスタルテ一人で皆殺しにすることができるだろうが、僕達は何も得るものがない。
助けてあげたい気持ちがなくもないが、そもそも今対処しても次の流れ者が来るだけだろうし、その時僕たちはここにいない。
ターニャが対抗できる力を持たなければいけないのだ。

……。
一つ、思いつく。見れば、アスタルテも同じことを思いついたようで、こちらを見て微笑んでいる。

「ターニャさん、方法がないわけではないけれど、当然そこには様々な問題が付きまとう。場合によっては、教会に追われることになるかもしれない。それでもいいですか?」

一瞬、その言葉の意味を計りかねてターニャがおびえた表情を見せる。
が、すぐにその表情は、決意に満ちたものへと変わる。

「あの子と、この宿での生活を守ることができるなら……どんなことだって」

◆◆◆

翌日、僕とアスタルテは流れ者たちの溜まり場を訪れていた。
おそらくはどこかの商会が背後にいて、ここに宿場町を作らせ実権を握ろうとしているのだろう。
リーダーは元傭兵らしき細身の壮年と、おそらく喧嘩自慢程度のごろつきが四名。
こちらが宿の女主人と話した結果、彼女から対話の席を設けたいと申し出があったことを告げると、その話にはあっさりと乗ってきた。

リーダー格から「何か狙いでもあるのか?」と探るように問いかけられ、予定通りにこう返す。

「いえ、僕は利益がないことはしないたちでして。時に、親分さん。北の街で仕入れた、こんな媚薬があるんですがね……」

◆◆◆

昼過ぎ、エブラムに向かう街道を歩きながら、アスタルテが問いかける。

「エリオット様、最後まで付き合わなくてよかったのですか?」

少々不満そうなのは、男たちの精や命を吸い損ねたからだろうか。

「ああ、お膳立てはしたからね。あとはターニャ次第……とはいえ、まず予想通りになるね。あのごろつきたちは、魔物になった彼女に籠絡されて終わりだろう」

昨夜、僕はターニャを抱き、魔物へと変えた。
僕が意図して変えた部分もあるが、予想通り彼女は低位の淫魔になった。
元々淫蕩な素質はあったのだろう。アスタルテと僕の手で、彼女はその淫らな素質を開花させることになった。

流れ者のリーダーに売りつけた媚薬は本物だ。
男女を問わず欲情させる香木……それ自体が、暴力ではなく色事に持ち込ませるための誘導。
武器の戦いでターニャが彼らに勝つことはできない、だが、あの肉体で籠絡してしまえば争う必要もなくなる。
あの宿はターニャが持ったまま、あの流れ者たちの庇護下に置かれるのだから。

「そして、街道沿いの宿場に貴方は手駒を一つ得て、情報収集にお役立てになるのですね?」

「そのくらいの対価はもらってもいいだろう? ターニャだって、承知の上で魔物になることを望んだんだ。……まぁ、他に選択肢があったとは思えないけれどね」

それから数か月たったある日、あの宿に泊まったという男が訪ねてきて、ターニャからの伝言を受け取った。
どうやら、予想通りターニャはあの男たちを飼い馴らしたようで、あの宿を中心にして宿場町を作り始めることになったようだ。
宿を拡張し、複数の建物をつなぎ合わせることで、あくまでも一つの宿と扱うのだとか。
ターニャ自身も妖艶な宿の主人として多くの旅人から注目されているようで、淫魔としての生活も順調のようだ。

言伝を伝えた男もどうやら彼女と寝たのだろう、話の最中に思い出しては鼻の下を伸ばしている。
店から去る間際に、ふと振り返って、一言だけ伝えると、男は去っていった。

「そうそう、宿の女主人から言われた伝言がもう一つだけありました。何年かしたら、娘の世話もお願いします……と」

『ダンジョン暮らしの元勇者』
小説:峰崎龍之介

『甘い贈り物』

「うーむ」
 昼過ぎのことである。ブラムはダンジョンの奥深くにある自室で腕組みし、呻いていた。黒髪黒目、いつもの黒ずくめ。彼自身はごくごく普段通りである。
「なんなんだろうな」
 呟いて、彼はテーブルの上を見やった。そこにはいくつかの包みがある。大きさも色もばらばらだが、共通点もあった。漂わせている匂いがどれも甘い。しかも独特の香ばしさもあった。不快な匂いではないが、嗅ぎ慣れているものでもない。
 これらは全て、ここ一時間ほどの間に集まったものだった。ダンジョンに住まう女性たちが順番に部屋を訪れて置いていったのだ。しかもどうやら手作りで、ついでに言えば焼きたてほやほやでもある。
『やっほー! 皇妃様のありがたい下賜、嬉し泣きして受け取りなさい! あ、別にお菓子と下賜はかかってないからね?』
 まずベアトリスが妙にはしゃぎながら突撃してきて、派手な袋を押し付けてきた。ちなみに中身はクッキーだった。出来は……まあ、ごくごく普通である。
『……ええと。お母様のアレは気にしないで。浮かれてるだけだから。まったく、いくつになっても落ち着きがないんだから。……それはともかく、私からもこれを。自信作よ』
 入れ替わりでやってきたミオンは、母への小言とともに小さな袋を手渡してきた。中身はプロの職人が作ったものと比べても遜色ない、本格的なクッキー。
『おーっほっほっほ! 大事なのは気持ちとは申しましても、やはりインパクトも大事。というわけで物量作戦ですわ!』
 続いてマリーが、高笑いしながら馬鹿でかい袋をテーブルにどかんと置いた。中身が全てクッキーだと思うと、正直胸焼けを禁じえない。
『ふ、ふん。別に私は、こんなのどうでもいいですが。和を乱さないために仕方なく、仕方なく作ったまでです!』
 マリーと一緒にやって来たニーナは、そっぽを向いてふんすと鼻息など吹いていた。が、手渡された袋は妙に可愛らしく、最も女の子らしい贈り物の体裁を整えていた。
『……あの。すまん。わたしにはこれが限界だったのだ……』
 そして最後にやって来たフレデリカは、なぜだか妙にしょんぼりしていた。自信なさげに置いていった包みには、ちょっとばかり形が歪で、じゃっかん焦げたクッキーが収められていた。
「……ふむ。顛末を思い出してみたがまったくわからん。なんで揃いも揃って焼き菓子を置いていったんだ、あいつら」
 と、首を傾げた瞬間、ふとノックの音が聞こえた。また誰かが訪ねて来たようだ。おそらく女性陣の最後のひとり、イレーネだろう。
「こんにちは、ブラム様」
 扉を開けると、果たしてそこにはイレーネがいた。いつも通りの冷たい美貌を崩さないまま、小さく会釈している。
「やっぱり君か。……で、君も焼き菓子を?」
「いえ。私はこれを」
 彼女はポットとカップが載った盆を掲げて見せると、部屋の中にちらと視線を送った。見やったのはおそらく、テーブルを埋め尽くしているクッキー入りの袋か。
「あなたは健啖家ですが、あれだけの乾きものを片付けるとなると、流石に飲み物も必要でしょう?」
「……そうだな」
 飲み物があったとしても、全て平らげることが可能かは微妙だったが。とりあえず曖昧に頷いて、イレーネを部屋に通した。
「……あのよ。根本的なことを訊いていいか?」
「? はい。なんでしょう」
 ポットの中身を──コーヒーだった──カップに注ぎ終えたイレーネが、小首を傾げる。それを見返しながら、ブラムは告げた。
「なんであいつら、揃って焼き菓子なんぞくれたんだ?」
「……? あれ、ベアトリスさんから説明されませんでしたか?」
「いんや、なんにも」
「……そうですか」
 イレーネは嘆息した。どうもなにか行き違いがあったようだ。単にベアトリスがポカをやらかしただけかもしれないが。
「私も詳しくは聞いていないのですが……今日は『ヴァレン・タイン』という、ザヴァクに伝わる特別な日なのだそうです」
「ヴァレン……タイン?」
「はい。マスターに聞いたところによりますと、大昔に実在したスナッチ・ヴァレンという猛将が、無類の菓子好きだったそうです。特に妻の作るタインの実を使ったクッキーが大好物で、食べれば食べるだけ戦での働きが良くなった、という逸話すらあると」
「ははあ。その逸話が受け継がれるうちに微妙に変化して、女性が男性に甘いお菓子を贈って、自分の愛を表現する日になったわけだ。んで、ヴァレン夫妻の仲睦まじい逸話に、タインの実というキーワード。そのふたつを組み合わせてヴァレン・タイン……と、そんなところか?」
 ピンときて先を引き取ると、イレーネは小さく頷いた。
「はい。マスターからは、概ねそのような説明を受けました。まあ今回は、『日頃の感謝を形にしましょう』という程度のニュアンスで実施したようですが」
「なるほど。ベアトリスやミオンまで押しかけて来たのはそれでか。つーかたぶん、言い出しっぺはベアトリスだな。ここんとこ退屈してたみたいだし。にしても……そうか。嗅ぎ慣れない匂いがすると思ったが、タインの実とやらの匂いだったんだな」
 ひとり納得してから、ブラムはテーブルの上に並んだクッキー入りの袋の群れへと視線を向けた。それから、ふと嘆息する。
「……疑問は解消できたが、代わりに大きな問題が発生したな。……日頃の感謝、か。んなこと言われたら食わんわけにはいかねえだろが」
「ベアトリスさんとミオンさんはそうですが、他の三人は正真正銘、ヴァレン・タインの贈り物のつもりだと思いますよ?」
「だったらなおのこと、食わんわけにゃいかねえよ」
 イレーネの茶々入れに肩をすくめつつ、手近な包みを開けた。派手な包み。ことの発端であるベアトリスの、『日頃の感謝』をひとつ摘み上げる。
「…………甘ぇ」
 一口で頬張り、咀嚼し、飲み込んで──彼は顔を顰めた。
「……? 甘いもの、お嫌いでしたか?」
 と、イレーネが首を傾げた。ブラムはコーヒーを啜って口の中を苦みで染めてから、小さく首を横に振る。
「嫌いなわけじゃない。苦手なだけだ」
「それ、どう違うんですか?」
「味としての甘味は、別に嫌いじゃない。勇者になるための訓練で、心と一緒に味覚もぶっ壊れたからな。単純な味はむしろ好ましい。でも苦手なんだ」
 言うと、銀髪のメイドはよくわからない、という顔をした。まあ、この説明でわかるはずもないが。
 正直なところ、これはあまり触れたい話題ではなかった。ニュアンスを伝えられる自信がないからだ。
「……」
 イレーネは黙っていた。気にならないわけでもないが、強いて追及もしない。ただしその場から去ることもない──そんないつも通りのクレバーな態度で、静かに佇んでいる。
「……わかったよ。別に隠すことでもねえしな」
 ブラムはまた新たに包みを開け、クッキーをひとつ摘まんだ。取り立てて特徴はないが丁寧に作られている、生真面目なニーナからの贈り物。
「……幸せな気分になるだろ、甘いものを食べると。それが……苦手なんだ」
「幸せが……苦手?」
 イレーネが不思議そうな顔をする。それに笑いかけて、ブラムは続けた。
「……俺は勇者として、多くの命を摘み取ってきた。数なんて覚えていないくらいにな。そんな俺が幸せになっていいのか、いまでも迷うんだよ」
 我ながら馬鹿らしいことを言っているなと、彼は苦笑した。だがこれが事実だった。
 ──甘いお菓子。口にするだけで得られる最小単位の幸せ。手に入れるのに努力など必要ない。そしてだからこそ、血塗られた手で触れるのを躊躇してしまう。
「食ってる時は別になんともないんだけどな。寝る前とかにふと自己嫌悪するんだ。『ああ、今日はこれだけの幸せを得た。だが俺に、そんな資格があるのか?』ってな。あと、悪夢を見たりもする。殺してきた連中や、救えなかった連中がよ。『お前だけ幸せになるなんて』って、一晩中罵ってきやがるんだ」
 言ってから、ニーナのクッキーを頬張る。甘くて幸せなひとかけら。きっと今夜には、とてつもない苦みに変わるのだろうが──いまはただ、甘くておいしい。
「……そうですか」
 イレーネはしばし考え込むような素振りを見せてから、否定でも肯定でもない返事をした。どこまでもクレバーな彼女は、不必要に距離を縮めては来ない。
 だが、その冷たいとも取れるイレーネの態度が、ブラムは好きだった。勇者に成り果ててしまった人間の胸中など、理解できなくて当然だ。わかった振りをされる方が困ってしまう。
 これは自分だけの病であり、呪いだ。抱えて歩くのは自分ひとりでいい。
「……ま、つまらない愚痴はここまでにしよう。コーヒーが冷めちまう前に、皆の『日頃の感謝』を噛みしめないとな」
「……」
 ブラムがまたひとつ小さな幸せが詰まった包みを開けるのを、イレーネはなんでもない表情で、だがじっと、じっと見つめていた。

 ──そしてその夜。案の定ブラムは、昼間に得た『小さな幸せ』のしっぺ返しを受けていた。
「……駄目だな。眠れやしねえ」
 寝床には潜り込んだものの、眠気は一向に訪れなかった。その代わりに、苦々しい感情が胸中を満たしてくる。
 かつて奪った無数の命が、重さを持って心に圧し掛かってくる。気を抜けば潰れてしまいそうなほどの罪悪感。いつまで経っても慣れはしない。
(わかってる。馬鹿馬鹿しい話だ。女々しい話だ。だが、それでも──)
 ──それでも。自己嫌悪が止むことはない。おそらく生涯付きまとうだろう。
 逃げられない。この『勇者の呪い』は、きっといつまでも振り切れない──
「悪いな。せっかく作ってくれたのに」
 昼間、クッキーを受け取った時のことを思うと、気分はさらに落ち込んだ。女性陣は皆、ヴァレン・タインというイベントを楽しんでいるように見えた。
 素直に好意を表現してくれたマリー。つんけんしながらも、誰よりも可愛らしいラッピングをしていたニーナ。不器用だからこそ、最も一生懸命だったであろうフレデリカ。完成したものの出来栄えには少々差異があったが、込められた想いはどれも等しく尊いものだった。
 アルの女であるベアトリスやミオンも、精一杯の『日頃の感謝』を込めてくれたに違いない。なのに自分と来たら、それらの想いを全て苦みに変換して、ヴァレン・タインという日を締めくくろうとしている。
「……ひでえ話だよな」
 と、彼が暗い気持ちに自己嫌悪を積み重ねた──その時だった。
「……やはり、眠れませんか?」
 ──唐突に。まったく唐突に、声が聞こえた。驚いて身を起こしかける。が、相手の顔を見て寝直した。
「……君か。空間転移で勝手に入ってくるなんて、らしくないじゃないか」
 声の主はイレーネだった。昼間と違ってメイド服ではない。色気のあるベビードール姿だ。
 彼女は特に許可を取るでもなく、自然に寝台に上がってきた。そしてそのまま、ブラムの真上に覆い被さってくる。
「どうせ起きているのなら、少し遊びませんか?」
 魅惑的な誘いのあと、柔らかな唇が頬に落ちてきた。いつになく積極的なアプローチ。悪い気はしないが、ブラムは少々面喰った。
「……これも、珍しいな。君の方からこういう誘いをかけてくるなんて、ほとんど初めてじゃないか?」
 妖しくきらめく蒼い瞳を見上げて囁くと、彼女は髪をかき上げながら囁き返してきた。
「かもしれません。……ですが、まあ。今日は特別な日ですから」
「うん? ……ああ、ヴァレン・タインとやらか。そういえば君からは、なにも貰ってなかったな。……もしかして、これが『そう』なのか?」
 真紅のベビードールに覆われた、蠱惑的な肢体を視線で示す。するとイレーネはくすりと笑って、
「ええ。つまらない自己嫌悪くらいなら、すぐに忘れさせてあげます。……せっかく頂いた贈り物です。苦い思い出にしてしまうには惜しいでしょう?」
「…………」
 その言葉の意味を、ブラムはしばし考えた。それから、小さく嘆息する。
「……気を遣わせたか?」
「そうですね。是非反省してください」
 きっぱりと言ってから、しかし彼女は甘い声で続けた。
「でもそれはあとで。いまは私に溺れて、全て忘れてください。甘いお菓子の味は、甘いまま覚えて……ね」
 言葉とともに口づけが落ちてくる。今度は唇同士が触れ合った。同時に体もぴったりと寄り添う。
 甘い唇と熱い肌。極上の女体を全身で感じて、ブラムは苦笑した。
「……敵わないな、君には」
 だが、もちろん悪い気はしなかった。せっかくのヴァレン・タインを苦い思い出で終わらせない、甘くて熱い贈り物。受け取らなければ男が廃る。
 ブラムはイレーネの体をそっと抱きしめると、その耳元でこう囁いた。
「……わかった。今日はとことんまで、君に甘えて溺れよう。この苦みが全て消えるまで、な」
「ええ。今日は……特別な日ですから。あなたの思うまま、望むままにしてください」
 蕩けるような誘惑を聞きながら。ブラムは甘くて熱い時間に、少しずつのめり込んでいった──

『えっ、転移失敗?……成功!?』
小説:ほーち

「「「ハッピーバレンタイン!!」」」
「え……?」
 誰も居ないはずの部屋に帰った俺は、女性たちの明るい声に迎え入れられた。
「うふふ。今日はバレンタインだからさ。陽一を驚かそうと思ってみんなで集まったの」
 得意げにそう話すビジネススーツの女性は俺の元カノで、最近またいい感じになりつつある本宮花梨。
「今日はみんながんばったから、楽しみにしててね、お客さん」
 花梨の隣にいる着物姿の女性は、風俗嬢のリナこと藤野さやか。
「チョコレート、お口にあうといいんですが……」
 自信なさげに呟いた清楚系美人のメガネっ娘は、南の町で出会ったデリヘル嬢のアカリこと星川実里。
「……ってか、なんでこの3人が一緒にいるの?」
「なに言ってんのよ。あたしたちいつも一緒にいるじゃない」
「そうだよ、お客さん」
「いつもお世話になってます」
 そうだっけ……? まぁいいか、細かいことは。
「あ、あの……これ、みんなで一生懸命作ったので、食べてください」
 実里がおずおずと化粧箱を開けると、ひと口サイズのチョコレートが並んでいた。その中のひとつを手に取り、口に入れてみる。少し控えめな甘さのあとに、クセのある苦味が後味として残った。
「これ、花梨が作っただろ?」
「お、せいかーい! よくわかったわね」
「オレンジピールが入ってるからな。俺が好きなの、覚えててくれてたんだ」
「んふふ、忘れるわけないじゃない」
 続けて箱に視線を落とすと、実里がひとつのチョコレートを遠慮がちに指差した。
「これ、私が作った分です」
「そっか。どれどれ……」
 せっかくなので、次は実里が作ったのを口に入れる。ちょっと甘いけど、そのあとにコクのある苦味が続いた。カカオの苦味とは異なるこの風味は……、
「コーヒー?」
「はい……。陽一さん、よくコーヒー飲んでるから」
「そっか、ありがとう。美味しいよ」
 さてお次は……、と思ったら、さやかがひとつ摘んで俺の口に放り込んできた。
「最後は私のだよー!」
 ちょっとびっくりしたけど、せっかくなのでそのまま味わってみる。
「ん? なんかピリッとするなぁ……」
「うふふ……。それね、唐辛子《とうがらし》が入ってるの。ポカポカするのよ?」
 へぇ、唐辛子……。考えたこともない組み合わせだけど、結構いけるな。
「あとね……、あっちも元気になるの」
「えっ!?」
 俺が驚いてさやかを見ると、彼女はパチリとウィンクをして、俺の背中をポンと叩いた。
「シャワー、浴びてきて。みんなで待ってるから」
 さっとシャワーを浴びた俺は、バスローブだけを羽織って寝室に入った。
「お客さん……いらっしゃい」
「おおっ!?」
 薄暗い照明に照らし出された3人の姿に、思わず声を上げてしまった。
 寝室で待ち受けていた女性たちは、裸の上から少し幅の広いリボンだけを身体に巻き付け、胸と股間をギリギリのところで隠していた。
 それぞれリボンの巻き方や色が異なる彼女たちの扇情的な姿を、俺は言葉もなく凝視して目に焼き付けていた。
「うふふ……、チョコだけじゃなく、私たちも食べて?」
 食い入るように見続ける俺に軽く微笑みかけたあと、さやかは首のうしろにあるリボンの結び目に手を回し、しゅるりと引いた。
「おおっ……!!」
 ほどけたリボンがはらりと落ち、隠れていた乳首や股間が露わになる。
「たまにはこういうのも、いいわよね?」
 続けて花梨が胸元に作った結び目をほどく。
「お気に召すまま、誰からでもお召し上がりください」
 実里は背中に両手を回し、リボンをほどいた。
 3人の女性が、恥部を晒して俺を誘っている。
 完全に取れていない中途半端に絡まったリボンのおかげで、女性たちは全裸よりもエロく見えた。
「いっただっきまぁーす!!」
 俺は羽織っていたバスローブを脱ぎ捨て、近くにいたさやかに飛びかかった。
「あんっ!」
 嬉しそうな声を上げたさやかをベッドの上に押し倒し、大きな乳房にむしゃぶりつく。
「やん、お客さん、いきなり激しぃ……」
 軽くリボンがかかったままの乳房を揉み、乳首を舐め回しながら、腰の位置を調整して肉棒をさやかの秘部に当てる。リボンがほどけたとき、割れ目から粘液がトロリと糸を引いていたので、準備はできているはずだ。
 亀頭が割れ目を捉えたのを感じ取り、俺はそのまま一気に奥まで貫いた。
「あはあああぁぁっ!」
 ズブズブと肉棒を挿し込まれたさやかが歓喜の声を上げる。
 その直後、ふと感じた気配に視線を上げると、花梨と実里がさやかの左右で膝立ちになり、股間に手をやって自ら割れ目をくぱぁと開いた。
「ねぇ、あたしたちも気持ちよくしてぇ」
「お、おねがいします」
 さやかの胸にむしゃぶりついていた俺は、上半身を起こして花梨と実里の股間に手を伸ばした。そしてねっとりと濡れたふたりの割れ目に指をねじこみ、膣内をグチュグチュとかき回しながら、腰を振り続けた。
「あっ! あっ! お客さんっ! 奥、当たってるぅ……!!」
「んっ……陽一ぃ、そこ気持ちぃよぉ……。もっとクチュクチュしてぇ……!!」
「んあああっ! 陽一さんっ、もっと、奥までズボズボこすってくださいぃ!!」
 そうやって4人で絡み合っていると、ほどなく限界が訪れた。
「うっ、出るっ……!!」
「いいよっ、お客さんっ! そのまま膣内《なか》にだしてぇっ!!」
「あああっ! あたしもイクっ! イッちゃうっ!!」
「ひぃうっ!! 私も、もう……イキますっ……!!」
 ――ドビュルルルッ!!
 射精とともに訪れた快感が脳髄を刺激し、俺はガバッと起き上がった。
「……夢?」
 気がつくと俺はツリーテントの中で、ひとり寝袋に包まれていた。
「はぁ、なんだ夢かよ……。ま、気持ちよかったからいいけどさ……」
 俺はため息をつきながらもさっきの夢とそれに伴う快感を思い出して軽くニヤつき、寝袋からもぞもぞと抜け出した。そして【無限収納+】から替えのパンツとタオルを取り出し、汚れた股間を拭いて着替えたあと、木の間に張ったツリーテントの入口を開けた。
「朝か……」
 水平線から少しだけ顔を出した太陽が放つ淡い光が、森に射し込む。
「ゲギョゲギョ!」「グゲゲッ!!」
 そんな爽やかな朝の森に、不快な喚き声が響き渡った。
「朝っぱらからゴブリンかよ……」
 子供くらいの背丈に醜悪な顔をのせた人型の魔物が数匹、こちらに近づいてきた。いくら【言語理解+】があっても魔物の言葉までは理解できず、意味不明な喚き声に夢の余韻を台無しにされた俺は、【無限収納+】から拳銃を取り出し、【鑑定+】で射角を確認しつつ苛立ちをぶつけるように引き金を引いた。
 ――ドゥンッ! ドゥンッ! ドゥンッ……。
 銃口から放たれた44口径マグナム弾が、ゴブリンの眉間を無慈悲に貫いていく。
「っつーか、こっちのほうが夢みたいだけどな」
 異世界の森で銃をぶっ放して魔物を倒すという現実味の無いできごとに、思わず苦笑が漏れる。
「ふぁ……。まだ眠いし、今日は帰るか」
 ゴブリンどもを一掃し、テント一式を【無限収納+】に収めたあと、俺は【帰還+】で日本の自宅マンションへと転移し、寝室に駆け込んでそのままベッドに倒れ込んだ。
「次は、花梨と……。最後に実里……、いやそのあと全員で……」
 さっきの夢の続きが見られるよう願いながら、俺はふかふかのベッドで二度寝を決め込むのだった。